反日武装戦線について ―ポストモダン状況における左翼の行き詰まり―

 「反日」という言葉がネット上では溢れかえっている。右翼、或いはネット右翼が、他人を罵倒する時に使う蔑称だ。僕の周りには「反日」という言葉を使っている人間を見たことがないが、どうも一部の界隈では、「反日」というレッテルをはり合うゲームが行われているらしい。

 しかし、そんな、品性のない連中が、気に食わないやつを非難する時に使う言葉である「反日」を、積極的に自任した、左翼過激派政治犯がいた。それが、「東アジア反日武装戦線」である。

 東アジア反日武装戦線が主に活動していたのは70年代前半であるが、同時期にあった連合赤軍あさま山荘事件の衝撃ばかり目立ち、東アジア反日武装戦線は、どうもその陰に隠れてしまっているようである。

 しかし、外山合宿で、時代の流れの中におけるその存在を確認し、やはり反日武装戦線の方が、連合赤軍より、左翼運動の文脈においては特筆すべき点を持つのではないかと思い始めた。それで、ここ一週間ほどの間、ノンフィクション『狼煙を見よ』、ドキュメンタリー映画『狼を探して』、アナキズム文献センターの展示資料、反日武装戦線自らが記した『反日革命宣言』と、反日武装戦線強化週間を過ごした中で、彼等の活動が、良くも悪くも、相当な現代性を持っていたことが分かってきた。今回は、この一週間ほどの間に思っていたことを、自分なりにまとめてみたいと思う。滅茶苦茶長い。

 滅茶苦茶要約すると、反日武装戦線は政治的テロであり、批判されなければならないが、しかしそれを左翼的ヒューマニズムの観点から批判してしまえば、むしろそれの空虚性をあらわにするだけであるという話である(気がする。長々と書きすぎて自分でもよく分からない)。

 

 

 

 

①プレ反日武装戦線としての“68年史” ―ポストモダンへ―

 反日武装戦線の活動は、主に70年代前半に行われている訳であるが、そんな彼らの思想を見るにあたって、絶対に見逃せない前提がある。それが、日本国内では全共闘、グローバルではパリ五月革命プラハの春ベトナム反戦運動に代表される様な、“1968年”前後の地殻変動である。かの“世界システム論”で有名な、ウォーラーステイン曰く、“1968年”とは、1848年の二月革命以来の、100年に一度あるかないかの世界革命の年であり、1968年こそが、ポストモダンの行方を決定づけたということなのである。

 本章では、そんな1968年に、一体何が起こり、そして何が変わってしまったのかを、主に次の二つの観点から整理したい。一つは、マルクス主義理念の事実上の崩壊であり、もう一つは、先鋭化する加害の論理である。

 

マルクス主義の事実上の崩壊 ―プラハの春と華青闘告発―

 この節では、マルクス主義理念の事実上の崩壊を扱うが、そのために、マルクス主義そのものの確認から始めよう。

 

 近代左翼思想の総本山たるマルクス主義思想。最近“左翼”というと、“社会的弱者の立場に立つ”という風に、良きにしろ悪しきにしろイメージされるものである。しかし、マルクス主義は、こうしたイメージとは厳密には異なる。

 それを明らかにするために、『共産党宣言』から引用しよう。プロレタリアート、中間層、ルンペンプロレタリアート(社会最下層の労働者)が、それぞれどのように言及されているかに注目である。

 

 

今日、ブルジョアジーに対立しているあらゆる階級の中で、プロレタリアートだけが真に革命的な階級である。残りの諸階級は大工業の発展とともに零落し没落するのに対し、プロレタリアートは大工業の固有の産物だからである。

 中間層、すなわち小工業家、小商人、手工業者、農民はみな、中間層としての自分たちの存在を没落から守るためにブルジョアジーと闘う。彼らはしたがって革命的ではなく保守的である。それどころか反動的でさえある。彼らは歴史の歯車を逆に回そうとするからである。(中略)

 ルンペン・プロレタリアート、旧社会の最底辺におけるこの受動的な腐敗部分は、そこかしこでプロレタリア革命によって運動に投げ込まれるが、その全体としての生活状況からして、むしろ喜んで反動的陰謀に買収されるだろう。

マルクスエンゲルス 『共産党宣言

 

 

 この一連の文章を読めば、マルクス主義が、“社会的弱者の側に立つ”という様な代物ではないことがわかるだろう。没落していく中間層もルンペン・プロレタリアート(以降、ルンプロと表記)も、どちらも、反動的と裁かれる。この時、マルクスが依拠する基盤となる観点はどこなのか。

 マルクスは、プロレタリアートの立場に立っているということも出来るが、それでもまだ表層的だ。マルクスが依拠する観点とは即ち、〈歴史〉、〈社会〉、或いは、〈革命〉の観点なのであり、〈個人〉ではない。〈個人〉は常に、〈歴史〉〈革命〉によって裁かれてしまう。マルクスにとって大事なことは、ルンプロという、目の前で抑圧されている可哀そうな〈個人〉を救うことなのではなく、歴史の歯車を回して、人間性を解放することにこそあるのだ。

 だから、中間層のみならず、ルンプロをも、〈歴史〉〈革命〉にとっては反動的な敵として裁かれてしまうのである。ここに、西洋形而上哲学を不本意ながら引き継いでしまった、マルクス主義の錯誤がある。つまり、〈歴史〉〈革命〉を僭称する主体によって、〈個人〉の抑圧を許してしまう様な構図が、人間性の解放を目指したはずのマルクス主義には、始めから埋め込まれてしまっているのだ。

 

 そして、マルクス主義のこうした暗部が明らかになり、〈歴史〉〈革命〉に抑圧されてきた〈個人〉にスポットライトが当たったのが、“1968年”であった。

 では、1968年の一体何が、〈歴史〉〈革命〉に疑問を突き付けたのか。

 

 まず、世界的な見地から見てみる。重要なものの一つとして、プラハの春を挙げよう。教科書の記述がまとまっていてわかりやすいから、それを引用する。

 

ソ連国内では1964年のフルシチョフ解任によって、改革が終わることへの不安と失望が徐々に広まりつつあった。また68年にはチェコスロヴァキア共産党ドプチェク(任1968~69)のもと、社会主義体制の改革運動が起こったが(プラハの春)、ソ連のブレジネフ(任1964~82)政権はワルシャワ条約機構軍を送り込んでこれを鎮圧した。ブレジネフは社会主義陣営全体の利益のためには一国の主権は制限されるという制限主権論を唱えて、この介入を正当化した(ブレジネフ=ドクトリン)。

 

プラハの春……ドプチェクは「人間の顔をした」社会主義を掲げ、検閲の廃止、経済改革、自立的な外交などを打ち出した。だが、ブレジネフ指導部にとっては、ソ連社会主義こそが唯一の社会主義であり、それ以外は反革命への道なのであった。

 

『詳説世界史研究』 山川出版社 513p

 

 

 理想国家であり、人類解放を主導する筈のソ連が、自由を抑圧している、それが、プラハの春事件の衝撃だった。

 日本におけるプラハの春として、華青闘告発を挙げよう。

 華青闘とは、華僑青年闘争委員会の略称であって、その名の通り、中国の若者が日本で組織した学生運動の団体であった。そんな華青闘が、1970年の7月7日、全国全共闘主催の集会で、以下の様な旨の告発をするのである。スガ秀美『1968年』から引用する。以下、固有名詞がいっぱい出てくるが、とにかく大事なのは、華青闘が民族的マイノリティであり、中核派が日本人であり、そして、その両者が対立しているということだ。

 

 

 七〇年七・七は、当初は、華青闘と語学共闘、べ平連、日中友好協会(正統)全都活動者会議、東京入管闘という、日本側の大衆四大体との共催で行われる予定だったという。入管闘争を主題化しえない新左翼諸党派には盧溝橋記念集会は担えないという華青闘の申し入れがあったためである。ところが、そこに当時最大の党派であった中核派などの諸派がオブザーバー参加のかたちで介入し、全国全共闘と全国反戦という党派間共闘組織と、東京入管闘の共催を主張した。

(中略)

 華青闘と四団体は全国全共闘・全国反戦に主催は任せられないとして反対したが、中核派などの提案は可決された(七月三日)。華青闘は主催を辞任し退席する(七月四日)。この華青闘退席に際して、中核派の全国全共闘書記局員(代行)が「主体的に華青闘が退場したのだからいいじゃないか」と発言し、これが差別発言であるとして、ノンセクト系の入管活動家から糾弾をあびることになる。これが、決定的な契機であった。

 この発言に対して、発言者当人、発言者が所属する中核派、そして七・七集会実行委員会の三者自己批判を提出したが、そのことで事態が収まったわけではない。また、この「差別発言」と連動して、別の党派代表が「自分は横浜で育ったので中国人をよく知っているが、差別などしたことがない」と発言し、これまた、それ自体が差別に無自覚だと糾弾されたという。七・七を前にした集会準備会は、ほとんど、ノンセクトからの党派への差別糾弾の場と化した様子である。

 この「差別発言」がなかったら、華青闘の主催からの撤退もそれほど問題にされることはなく、七〇年の七・七集会はありふれたものに終わっていた可能性も否定できない。しかし、この問題は、日本の新左翼が―ということは、日本の近代以降の思想総体が―内包していた「差別」の必然的な露呈であった。

 スガ秀美 『1968年』

 

 華青闘告発において問題とされたのは、次のようなことだ。即ち、革命を先導すると思われていた日本の党派が、その実、人類解放の〈革命〉の大義に隠れて、差別的ナショナリズムを抱えており、民族的マイノリティという小さな〈個人〉を抑圧していたということだ。「自分は差別をしたことがない」という中核派の発言が糾弾されるのは、現代的な反差別の問題意識が如実に出ている。差別性の自覚こそが、差別克服への道なのだとする、非常に自虐的な感性がここで芽生えるのである。

 ともかく、世界におけるプラハの春、日本における華青踏告発で問題となったのは次のことである。〈歴史〉〈革命〉を先導する主体であったはずのソ連共産党/日本人党派が、人類解放の大義の下で、〈個人〉を抑圧していく。そうした中で、〈歴史〉〈革命〉といった、大きな物語を語ることそのものが常に“騙り”なのであって、そうしたものを“騙る”ことは、〈個人〉への冷酷な弾圧を不可避的に招いてしまうのではないかということであった。

 戯画的に言えば、これは、左翼の関心が、「プロレタリアートからルンプロへ」という風に移行したということができるだろう。ルンプロは、ブルジョア/プロレタリアという対立からさえ排除されてしまっているわけだが、排除されているが故に、最も抑圧を被っているということである。

 とにかく、1968年においては、〈歴史〉〈革命〉が疑われ、それらの立場を党が僭称することが完全に否定される。その中で、〈歴史〉〈革命〉の観点を称して、革命の主体を独断的に決めてしまうマルクス主義は、その理論的前提から、事実上崩壊してしまうのである。

 

・加害の論理 ―ベトナム戦争

 ここから書いていく、“加害の論理”は、前記のマルクス主義理念の崩壊とも関係するが、それだけに収まらない射程を持っている。

 “加害の論理”とは文字通り、加害性、特に、自身の加害性についての論理、というか、実感のことである。

 前述のマルクス主義理念の崩壊も、加害の論理に翻訳することができる。つまり、〈歴史〉〈革命〉を僭称して、人類の解放を謳う共産主義者が、実際は小さな〈個人〉を抑圧し、“加害”していたのであるということだ。マルクス主義の崩壊とは、共産主義者につきつけられた加害の論理と言い換えることもできるだろう。

 しかし、1968年には、共産主義だけではなく、西の資本主義国家で、市民社会における平和な日常生活にも、加害の論理は突き付けられた。それを世界的に象徴するのが、ベトナム戦争と、それに伴う反戦運動である。

 ベトナム戦争それ自体の説明は省略して、ベトナム戦争の影響について、世界史の教科書、というか参考書から引用する。

 

 ベトナム戦争は史上初めて、本格的にテレビで放送された戦争だ。連日、アメリカ軍が北ベトナムを攻撃する様子が放送され、最初はアメリカ軍目線の放送が多かったけど、そのうちジャーナリストがベトナムに乗り込んで、ベトナム人目線の映像も次々と流され始めた。例えば、アメリカ軍の戦車がベトナムの田んぼのド真ん中を進んでいく映像や、アメリカが支援している南ベトナム兵がおこなった路上処刑の映像などが、テレビを通じて全世界に流されたんだ。

 こうした映像を見た人びとは「アメリカの正義って何なんだよ?」という疑問を持ったよ。これまでアメリカや西側諸国の大多数の人たちは、「社会主義=悪」、だから社会主義と戦う「アメリカ=正義」だと信じてきた。でも、テレビから流れる映像はどう見てもアメリカのほうが悪い!こうして世界各地で反戦デモが起こり、アメリカに対する国際的な批判が強まると、アメリカ国内でも、若者の徴兵拒否や反戦デモが起こった。このベトナム反戦運動は、各国の反体制運動に影響を与えて、学生や労働者の運動が高揚したよ。

鵜飼恵太 『大学入試 ストーリーでわかる 世界史B [近代・現代]』

 

 

 世界的にはこの様な文脈から、ビートルズが流行ったり、フラワーチルドレンなる層が出てきたりする。いわゆる、カウンターカルチャーの時代が到来するのである。

 日本においては、アメリカとは違った意味も持っていた。日本も、アメリカへの支援という形でベトナム戦争に間接的に協力していた。しかし日本においてはアメリカと違って、そもそも自分たちが正義の国家だという感覚は希薄であり、むしろあったのは、敗戦国としての被害者意識であった。20年弱程の経済成長で先進国化していく中で、このベトナム戦争が勃発したわけである。ベトナム戦争の影響で、日本は、アメリカ的に正義の国家から加害者へという転換するよりも、被害者の国家から加害者の国家へという転換するのである。日本で普通に市民社会を生きていることそれだけで、犯罪的な加害性を帯びてしまうのだ。

 存在の不可避な犯罪性。これが、市民運動的な感性において表現されたのが「『ベトナムに平和を!』市民連合」、通称べ平連であった。しかし、こうした感性を、政治的な感性が過剰な程豊かな、学生運動家が感受したとき、健全な市民運動の枠を超えて、グロテスクな様相を帯びてくる。それこそが、反日武装戦線の展開であった。

 

 以上、こうした、1968年の前史を踏まえた、反日武装戦線の活動、思想について追っていこう。

 

反日武装戦線の活動

 僕がここでふれたいのは、反日武装戦の思想的、実存的な意味なので、活動を大学の授業みたいに細かく記述するのは避ける。

 最低限のことだけ簡潔に記そう。(事実関係はもしかしたら多少間違いがあるかも)

 

・組織形態

 反日武装戦線には、有名な部隊として、“狼”、“大地の牙”、“さそり”があるが、これら三つの部隊の関係性は非常に薄く、統一的な指揮体系があるわけではない。

 イメージされているのは、散発する都市ゲリラである。レーニン的な、唯一の共産党では断じてない。

 初めは、“狼”が東アジア反日武装戦線を名乗り、後述する「三菱重工ビル爆破事件」を起こす。その後、それに伴う声明を出す訳だが、それに共鳴した若者が結成するのが、“大地の牙”、“さそり”である。これら三部隊は、連絡こそ取りあっているが、上下関係があるわけではない。彼らとしては、「三菱重工ビル爆破事件」に共鳴して、“大地の牙”、“さそり”が結成されたように、その後も散発する都市ゲリラに呼応して、ゲリラがどんどん増えていって、ついに〈革命〉が達成されるのだというイメージだったのだろう。(彼らが参照したのは、レーニンではなくゲバラである。ゲバラは、自分達のキューバ革命に呼応して、「二つ、三つ……数多くベトナムをつくれ、これが合言葉だ」と題するアピールを発表した。“狼”自身が、ゲバラのアピールに呼応したのである。)

 

・爆破対象 ―“企業”と“象徴”―

 彼らの活動の基本目的は、ゲバラの呼びかけに呼応して、“都市ゲリラ”を組織することである。具体的には爆弾闘争を構想していた。

 彼らが実際にやったこととして、最もショッキングなものが、1974年八月三十日の三菱重工ビル爆破事件」だ。その名の通り、三菱重工ビルを爆破した事件である。ショッキングだったのは、この爆破で、普通に考えれば全く関係ない、無実の一般市民をも八人も殺してしまったことと、その後に出した以下の“声明”である。

 

 一九七四年八月三十日、三菱爆破=ダイヤモンド作戦を決行したのは、東アジア反日武装戦線“狼”である。三菱は、旧植民地主義時代から現在に至るまで、一貫して日帝中枢として機能し、商売の仮面の陰で死肉をくらう日帝の大黒柱である。今回のダイヤモンド作戦は、三菱をボスとする日帝の侵略企業・植民者に対する攻撃である。“狼”の爆弾により、爆死し、あるいは負傷した人間は、「同じ労働者」でも「無関係の一般市民」でもない。彼らは日帝中枢に寄生して、植民地主義に参画し、植民地主義に参画し、植民地人民の血で肥え太る植民者である。

 

 無関係の一般市民を殺したことを、悪びれるどころか、完全に正当化したのだ。どうも、元々“狼”自身も、一般市民を殺すつもりは全くなかったらしい。作戦遂行上のミスで、結果的に一般市民を殺してしまったが故に、事後的な正当化として、以上の声明文を出したらしい。しかし、そうした不本意な形であったとしても、こんな極論を提示できてしまう所に、彼等の思想的、実存的な恐ろしさがある。それについては後述しよう。

 

 こうした、“企業爆破”は、三菱重工ビル爆破事件の後も連続的に行っていくわけだが、それと並行して行われるのが、“象徴爆破”である。彼らは、二次大戦における帝国主義イデオロギーの“象徴”、或いは、アイヌ侵略イデオロギーの“象徴”として、興亜観音像、風説の群像を爆破していく。

 そうした“象徴爆破”の中でも、最大の“象徴”は、疑う余地なく、天皇ヒロヒト、つまり昭和天皇である。

 彼ら曰く、天皇爆殺作戦は“虹作戦”と呼ばれる。1974年八月十四日の朝に、昭和天皇が乗る列車を突き止めた“狼”は、その列車を爆破して、天皇を爆殺しようとしたのであった。この“虹作戦”は、彼らが、自分たちの行動が公安に看破されていると思いこんで、前日に突如中止を決定し、未遂に終わる。しかし、実際は、公安は全く“虹作戦”を把握しておらず、「三菱重工ビル爆破事件」の件で逮捕してから、取り調べを続けていくうちに、初めて、未遂で終わった“虹作戦”の存在を突き止めたのであった。

 歴史にifは禁物だが、もしも、“狼”が、勘違いすることなく、そのまま虹作戦を決行していたら、日本の現代史はどの様になっていただろうか。。。

 

 反日武装戦線が実際にやったこと、やろうとしたことを概観したところで、次は、主題である、反日武装戦線の思想内容を見ていこう。

 

 

反日武装戦線の思想

 反日武装戦線の思想について、本人たちの言葉を尊重した方が、彼らの思想がより伝わると思うので、少々長くなるが、彼らのメッセージをそのまま引用する。

 

さて、以下に東アジア反日武装戦線“狼”はいくつかの問題を提起し、日帝打倒を志す同志諸君と、その確認を共有したいと思う。

日帝は、三六年間におよぶ朝鮮の侵略、植民地支配を初めとして、台湾、中国大陸、東南アジアなども侵略、支配し、「国内」植民地として、アイヌモシリ、沖縄を同化、吸収してきた。われわれはその日本帝国主義者の子孫であり、敗戦後開始された日帝新植民地主義侵略・支配を、許容、黙認し、旧日本帝国主義者の官僚群、資本家共を再び生き返らせた帝国主義本国人である。これは厳然たる事実であり、すべての問題はこの確認より始めなくてはならない。

日帝は、その「繁栄と成長」の主要な源泉を、植民地人民の血と累々たる屍の上に求め、さらなる収奪と犠牲を強制している。そうであるがゆえに、帝国主義本国人であるわれわれは「平地で安全で豊かな小市民生活」を保障されているのだ。

 日帝本国における労働者の「闘い」=賃上げ、待遇改善要求などは、植民地人民からのさらなる収奪、犠牲を要求し、日帝を強化、補足する反革命労働運動である。(中略)

日帝の手足となって無自覚に侵略に加担する日帝労働者が、自らの帝国主義的、反革命的、小市民的利害と生活を破壊、解体することなしに、「日本プロレタリアートの階級的独裁」とか「暴力革命」とかをどれほど唱えても、それは全くのペテンである。自らの生活を揺るぎない前提として肥え、自らの利害を更に追及するための「革命」などは、全くの帝国主義反革命である。
日帝本国に於いて唯一根底的に闘っているのは、流民=日雇労働者である。彼らは、完全に使い捨て、消耗品として強制され、機能付けられている。安価で、使い捨て可能な、何時でも犠牲にできる労働者として強制され、生活のあらゆる分野で徹底的なピンハネを強いられている。
⑸(前略)日帝本国中枢におけるベトナム革命戦争の展開ではなくて、「ベトナムに平和を」と叫んでしまう。米帝反革命基地を黙認し、日帝ベトナム特需でわれわれも腹を肥やしたのである。支援だとか連帯だとかを叫ぶばかりで、日帝本国中枢における闘いを徹底的にさぼったのである。ベトナム革命戦争の挫折によって批判されるべきはまずわれわれ自身である。
⑹われわれに課せられているのは、日程を打倒する闘いを開始することである。法的にも、市民社会からも許容される「闘い」ではなくして、法と市民社会からはみ出す闘い=非合法の闘い、を武装闘争として実体化することである。自らの逃避口=安全弁を残すことなく、"身体を張って自らの反革命におとしまえをつける"ことである。反日武装闘争の攻撃的展開こそが、日帝本国人の唯一の緊急任務である。(後略)

⑺ (省略)

東アジア反日武装戦線“狼”『腹腹時計「都市ゲリラ兵士の読本」 vol.1』

 

 

 狼の活動も踏まえながら、この文面に現れる、狼の思想的特徴を主に二つの点から整理していこう。予め言っておけば、彼らの思想は、見事なほどに1968年の展開を踏まえていて、現代性を帯びている。しかし同時に、現代の左翼運動には見られない様な特異性も存在している。

 

・理論における非マルクス主義性 ―プロレタリアートとルンプロ―

 まず第一に目に付くのは、彼らがマルクス・レーニン主義を謳っていない点である。以上のメッセージ文には、マルクスレーニンという単語が全く出てこない。当時の左翼運動の世界にとって、マルクスは聖書みたいなものだから、たとえ実際にやっていることがどれだけマルクスとかけ離れていたとしても、こじつけの論理で、自分の活動をマルクス主義的に言うものであるが、“狼”は違う。違う文章では、明確にマルクスの思想を拒絶し、批判する文章も出している。(その文章の出典は失念してしまった。書かれていたことを大雑把に要約すると、「マルクス主義は、生産力の無限の発展を前提とするが、地球の資源は有限なので、一定の所で生産力の成長はストップする。」ということであった。何とも“SDGs”感のする議論である。意外かもしれないが、昔のマルクス主義者、というか昔の左翼は、科学の進歩を素朴に信じているので、基本的には原子力発電推進派であったし、環境問題とかに鈍感であった。“狼”の着眼点の、なんと先駆的なことか‼)

 

 実際、マルクス主義との決別は、マルクスという人物名を出していないという形式面だけでなく、内容面においても明らかである。それは、プロレタリアートとルンプロの扱いを見るとわかる。

 マルクスは、『共産党宣言』の中で、〈革命〉の観点に立って、プロレタリアートを革命主体と規定して、ルンプロを反革命的と表現したことは前述した。最近のマルクス主義者はここに改変を加えて、ルンプロとプロレタリアートを一緒くたに、革命の主体だという風に言うことが多い。(その際は、『共産党宣言』で言われていたルンプロとは、やのつく職業のことであって、決して下層労働者ではない、ということが述べられることが多いようだ。)

 しかし、“狼”は、マルクスとも、最近のマルクス主義者とも決定的に異なる。

 まずは、ルンプロについて「日帝本国に於いて唯一根底的に闘っているのは、流民=日雇労働者である」と断固肯定し、徹底的にルンプロの観点に立とうとする。それだけなら最近のマルクス主義者も言いそうなことだが、次のことは、仮にもマルクス主義者である限りは口が裂けても言えないことだろう。それが⑵で言われている、日帝本国における労働者の「闘い」=賃上げ、待遇改善要求などは、植民地人民からのさらなる収奪、犠牲を要求し、日帝を強化、補足する反革命労働運動である」という記述だ。本来、最も革命的な活動の一つと思われていた、プロレタリアートの団結と、そこから生じる賃上げ闘争をも、“狼”は、ルンプロに対して加害的であると糾弾する。

 ここで、“狼”は徹底的に『共産党宣言』と対立してしまう。つまり、共産党宣言』は、「プロレタリアート=革命的」、かつ「ルンプロ=反革命」と捉えていた。しかし、68年によるマルクス主義の崩壊と、存在の加害性という事実を、余りにも重く受け取りすぎてしまった“狼”は、「プロレタリアート反革命」、かつ「ルンプロ=革命」として、完全に『共産党宣言』を転倒してしまうのである。

 当時、“狼”がこうしたスタンスを出したのはどう考えても特異的だ。しかし、今でこそ労働者の運動に基盤を置かない左翼、つまり文化左翼、蔑称的に言えばポリコレ左翼というのは、メジャーになってきている面がある。そういった意味で、余りにも過激すぎる観念ではあるが、“狼”の依拠する感性は、明確に現代的な左翼運動の感性と共通している面がある。

 

・存在の耐えられない反革命性 ―〈革命〉/〈理論〉から、〈個人〉/〈実存〉へ―

 前節においては、“狼”が依拠する革命理論が、全くマルクス主義的ではなく、寧ろ現代のポリコレ的であるということを書いた。一方、この節で書くのは、そうした理論そのものの立ち位置が、“狼”においては、それまでの左翼とは異なっているということだ。それを理解するには、『腹腹時計 特別号1』に書かれた文章の一部を引用することに加えて、“狼”の宣言文を部分的に再度引用した方が良いだろう。

 

高まいな理論が必要ではない訳です。

 (中略)

 感性的な鋭さ(ここで言う“感性”とは、確立するものとしての原始共産制的価値観、世界観から発動されるものということになると思います。)こそが、反日兵士の最も基本的で重要な条件であり、そしてその上で、武装闘争を自らが担うという固い決意であると思います。感性的に鋭いということは、不正に対する怒りを非妥協的に堅持し続け、道理・正義を追求し続けるということですから、自らが武器を手にして戦うことを当然とする訳ですが、歴史的に正義に向かう(革命に向かう)武器から“疎外”され続けてきた日帝本国人(反革命侵略のための武器は手にしたことがあるのですが)は、権力と戦うためには武器を手にすることに一大決心が必要なので、段階を踏んで考えてみた訳です。

東アジア反日武装戦線“狼”『腹腹時計 特別号1』

 

 

⑹われわれに課せられているのは、日程を打倒する闘いを開始することである。法的にも、市民社会からも許容される「闘い」ではなくして、法と市民社会からはみ出す闘い=非合法の闘い、を武装闘争として実体化することである。自らの逃避口=安全弁を残すことなく、"身体を張って自らの反革命におとしまえをつける"ことである。反日武装闘争の攻撃的展開こそが、日帝本国人の唯一の緊急任務である。(後略)

東アジア反日武装戦線“狼”『腹腹時計「都市ゲリラ兵士の読本」 vol.1』

 

 

 彼らが大事にするのは〈理論〉ではない。〈感性〉なのである。彼らは、〈理論〉ではなく、〈感性〉から、〈革命〉を成し遂げられるとしている。

 しかし、僕はどうしてもこうした説明には納得いかないところがある。僕の恣意的な歪曲かもしれないが、それでも、この文章を読むと感じてしまうことは、ここで〈理論〉と共に捨てられているのは、〈革命〉/〈社会〉という観点をスタート地点に据えることそのものなのではないだろうかということだ。彼らが感じているのは、徹底的に〈革命〉からは疎外された位置に存在してしまっている〈個人〉/〈実存〉である。

 そうした空虚な〈個人〉/〈実存〉が、“狼”のスタート地点だ。

 〈個人〉/〈実存〉から、〈革命〉/〈社会〉に近づかなければならないが、その時必要なのは〈感性〉だ。もっと過激な言葉を使えば、「自らの逃避口=安全弁を残すことなく、"身体を張って自らの反革命におとしまえをつける"」ことこそが必要なのだ。

 この一文は余りにも衝撃的だ。本来は、〈革命〉から疎外されてしまった自分ごときの存在が、身体を張ったところで、〈革命〉には関係ないはずであろう。しかし、彼らには、自分が〈革命〉から疎外され、むしろ抑圧する側の存在でしかないことに、〈実存〉的にいらだっていた。だから、彼らは、空虚な〈個人〉/〈実存〉を破壊することで、存在の反革命性に“おとしまえ”をつけようとしたのであり、“おとしまえ”をつける方法こそが、彼らにとっては、非合法の爆弾闘争であったのであろう。〈革命〉/〈理論〉という観点から、“仕方なく”非合法なことを行うのではない。むしろ、爆弾闘争は、それが非合法であり、自らの身をリスクにさらさなければならないからこそ、“狼”を悪魔的魅力で惹きつけたのだと僕は思う。

 とにかく、マルクス主義的な〈革命〉〈歴史〉〈社会〉の観点は反転されて、“おとしまえをつける”という、極めて〈個人〉/〈実存〉的な話へとシフトするのである。そういった意味で、反日武装戦線が抱えている思想は、過剰に倫理的な道徳主義であり、その過剰さは宗教的とすら言えるかもしれない。

 

 こうした、“命がけの自己否定”というのは、反日武装戦線の特異性だろう。

 彼らが依拠する理論は、非常に現代的である。しかし、その理論の中では、革命において日本のプチブル大学生が占める役割は、あらゆる意味で全く存在しない。何故なら、〈社会〉/〈革命〉の観点から、どれほど高邁な理論をたれたところで、そんなものには何の意味もないし、加えて、日本のプチブル大学生である時点で、反革命的な加害者性を抱えこんでしまっているからだ。

 ポストモダンにおける政治とは、そういう理論的状況だから、若者は、自意識が過剰であればあるほど、負荷に耐え切れず脱政治化されてしまう。

 しかし、東アジア反日武装戦線は違った。身を捧げる〈革命〉/〈理論〉は存在しなくなったにも関わらず、寧ろそれ故に、“命がけの自己否定”をして、〈個人〉/〈実存〉を、強引に〈革命〉へと接近させようとするのだ。ここにあるのは、極度に過剰な政治的観念がこびりついてしまった、〈個人〉/〈実存〉である。

 存在としては政治性を書いてしまったが故に、逆に、〈個人〉/〈実存〉にパラノイア的にこびりつく、極度に過剰な政治的観念。これこそが、現代的な、脱政治化された〈個人〉とも異なる、“狼”の特異性であろう。

 

④まとめ

 異常に長い記事になった。絶対に自分以外の人間が読まない様な自慰行為みたいな記事である。

 68年の歴史的展開を確認した後、反日武装戦線の活動と、その思想の現代性と、同時に抱える、そこからも逸脱した特異性とを記してきた。

 最後に自分が感じたこととして書いておきたいのは、目的と手段の関係である。

 例えば毛沢東は「革命はディナーパーティーではない」、スターリンは「卵を割らなければオムレツは作れない」と言った。これらは二つとも、〈革命〉という大義の下では政治的残忍性が許されるということを意味する。政治的な文脈を脱色して陳腐に表現すれば、目的は手段を肯定するということを意味している。

 大抵の政治犯は、良きにしろ悪しきにしろ、こういう考え方がある。だから、政治犯を批判するには、そうした驕りを批判すればいいだけだ。

 しかし、反日武装戦線は、その論法では批判できない。それどころか、反日武装戦線こそが、僕たち小市民に、「目的によって手段を正当化するな!」という、強烈な非難を浴びせている。つまり、反日武装戦線は、我々の市民社会という“目的”のために、第三世界の惨状が“手段”として肯定されてしまっている現実に我慢できずに、爆弾闘争を展開したのだ。

 だからこそ、彼らのテロを批判するならば、通常の政治犯に行う批判を反転させなければならない。つまり、革命という大義は“目的”として機能しないが、一方、健全な市民社会という“目的”のためなら、第三世界の惨状は肯定されるのだと言わなければならない。僕はこれを言うことも出来ないし、かと言って、爆弾闘争を肯定する気にも、勿論自分が行う気にも全くなれない。なんとも憂鬱な気分である。

 とにかく、認めなければならないのは次のことだろう。

 

日帝は、三六年間におよぶ朝鮮の侵略、植民地支配を初めとして、台湾、中国大陸、東南アジアなども侵略、支配し、「国内」植民地として、アイヌモシリ、沖縄を同化、吸収してきた。われわれはその日本帝国主義者の子孫であり、敗戦後開始された日帝新植民地主義侵略・支配を、許容、黙認し、旧日本帝国主義者の官僚群、資本家共を再び生き返らせた帝国主義本国人である。これは厳然たる事実であり、すべての問題はこの確認より始めなくてはならない。

 

 この事実を前提にしてしまえば、どんな左翼的理念も空虚なゴミクズになってしまう。しかし、これを無視して素朴に〈革命〉/〈歴史〉の観点を謳うことは、ソ連崩壊以降最早犯罪的なことと言える。ここに、現代の左翼の閉塞が存在している。